富永謙一
Kenichi Tominaga
1999-2003作品集の冒頭文より
ゴルフをやっていて気付くのは自分の物だと思っている肉体が実はそうではなくて意志通りに動いてくれないという事実である。そして、ある意志を肉体に伝えるということが、どれだけ大変なのかを思い知らされる。たまに良いショットが生まれる時は無心の瞬間で体とイメージの一体感があり、一種の心地よい爽快な感覚が全身に走る。
人間は表象の世界を生きることを運命づけられている生き物であるから、表象と自然としての肉体が一つに溶け合う時こそが至福の時間なのではないかと思われる。
古来、花の美しさと観念としての死を結び付ける数々の文学作品があるのも、上手く説明はできないが、その辺と無関係ではないのかもしれない。古くは西行法師の、”願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月の頃 ”という有名な歌があって、満開の桜と月の輝きのかもしだす美しさと自らの死を重ねあわせている。又、近代では梶井基次郎が、”桜の木の下には屍体が埋まっている ”と書いて、美の根源としての死を暗示している。
有限な生を生ならしめているのが死であることを我々は無意識の内に本能的に知っているのであろう。もし生が無限ならば、生きる喜びも悲しみも、自己という意識も、時間の流れも霧散してしまう。人が美しいと感ずる時、生が高揚している時はまた永遠を体験するときでもある。その永遠の感覚とは有としての生に対称する無に違いない。
私の念願は自分の絵によって、その色と形とマチエールを通じて、このかけがえのない神秘的な生をそれを観る人と共有できる時を持つ事である。しかし私の芸は拙く、とても芸術などとはいえないが、その拙い絵で表現しようとした、人生の微細な様々な感覚を感じ取ってくれる人もいるかもしれないという幽かな期待を抱いているのである。
平成十五年五月 富永謙一 蛇石にて。
Artist Profile (1937-2020)
東京に生れる。
Born in Tokyo,Japan
家族と共に、台湾・台北市に移住。
Removed in Taipei,Formosa with the family
第二次大戦後、帰国。
Returned in Japan after the 2"World War
都立日比谷高校にて油絵を始める。
Begun painting in oils at Hibiya High School , Tokyo
東京外国語大学イタリア語科を卒業。
Graduated in Italian language at Tokyo University of Foreign Launguages
仕事の為、ローマに移住、2000年まで住む。
Removed in Rome, Italy for business reasons and lived since year 2000
再度、絵画活動を開始する。
Begun again painting activities
ローマ、グラディバ画廊にて最初に個展。
First Personal exhibition at Galleria Gradiva , Roma
スペイン、セビリアの画廊。サラ・アル・アンダルスにて個展。
Personal exhibition at Galleria Al Andalus, Seville, SPAIN
東京、山口ギャラリー及び、A&Sギャラリーにて個展。
Personal exhibition at Yamaguchi Gallery and A&S Gallery, Tokyo
英国、ロンドン、ザ・ニュー・アカデミー・ギャラリーにて個展。
Personal exhibition at The New Academy Gallery, London, UK
東京、ギャラリー舫にて個展。
Personal exhibition at Gallery Beaux, Tokyo
南伊豆、アートギャラリー上賀茂亭にて個展。
Personal exhibition at ArtGallery Kamigamotei, Minami Izu, JAPAN
東京、アートハウス SHIPS21にて個展1th
Personal exhibition at ArtHouse SHIPS21, Tokyo
東京、アートハウス SHIPS21にて個展2th
Personal exhibition at ArtHouse SHIPS21, Tokyo
1937
1940
1946
1952
1961
1962
1984
1989
1992
1992
1994
1996
1998
2001
2003
父の作品を整理して教わる
2020年11月に父、謙一が亡くなってから二ヶ月が経った初めての正月、いつもいるはずの人がただ不在なだけで、まだ何処かにいるのではないか?と思う不思議な感覚がある。それだけ大きな存在だったのだと痛感させられる日々が続く。
最近、主人がいなくなったアトリエの整理をしていると見慣れた作品や好きだった作品、全く見たことのない作品など、多彩な父の色やマチエールに出会える貴重な機会をもらっている。人は亡くなってもそこにはその人のモノは残る、特に父は絵を描いてたから尚更、そして美術大学で油絵を専攻した私にとっては違った形のコミュニケーションを楽しめている。「亡くなっても、今もなお絵を通じて会話ができる喜び」を頂いている。そのコミュニケーションの感覚はなんとなく懐かしさを感じる。
私は1983年ごろに突然、絵を描きはじめた父の影響を大きく受けて美術の世界に入っている。当時イーゼルに大きなキャンバスをのせて油絵を描きはじめたり、ガレージを改装してアトリエを作ったり、「父は一体何をしたいのだろうか?」とおそらく初めて父に興味を持ったときである。それを本当に楽しそうにやるので私も一緒にやってみたいと思い、色鉛筆や色ペンと画用紙をもって隣で同じように作品作りをした記憶が鮮明にある。その時間が厳格だった父との最高のコミュニケーションだった。何も話をしなくてもただ側で一緒に絵を描く、その時間を共有することだけで幸せだった気がする。
最近のアトリエで父の作品をみていると、その懐かしい会話をなんとなく思い出させてくれて、美術というのは時間も感情も全て超えて、素晴らしい感動を与えてくれるものであることを教えてもらった気がする。
令和三年一月 富永周平 川崎にて。
Newspaper Articles
talking about the Artist : Kenichi Tominaga
絵かき夢みる「映画屋」地球大通り「富永謙一さん」 1988年9月2日 朝日新聞 | アニメ”輸出”の先駆け人、世界が舞台「富永謙一さん」 1995年5月25日 読売新聞 |
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